歴史上、金は多くの権力者を虜にし、時には狂わせるなど、歴史を動かす原動力としての役割を果たしています。
マケドニアのアレキサンダー大王の時代には、スタテル金貨というものが鋳造され、その東方遠征に用いられ、マケドニア王国で流通していたようです。
古代ローマで金貨が発行された時期は、紀元前217年頃の第二次ポエニ戦争の頃とされています。
カルタゴの名将ハンニバルが、アルプスを越えてイタリア半島に侵入したという緊急事態に対応するため発行された貨幣が、ローマ貨幣史上初の金貨となりました。
その後共和制ローマでは、金貨の発行は臨時的に行われることとなりましたが、初代皇帝アウグストゥスは通貨制度改革に力を入れ、1アウレウス金貨が25デナリウス銀貨、100セステルティウス銅貨と同じ価値を持たせるようにしました。これを交換比率の制度化といい、以後パクス・ロマーナの200年間に渡ってローマ帝国全域で信頼できる基軸通貨のもと、経済が発展していきました。
アウレウス金貨
当時のローマは、地中海諸地域への進出の過程において、デナリウス銀貨の量目が徐々に減少していったため、流通力の安定性が揺らぐこととなったことにより、アウレウス金貨とデナリウス銀貨との両本位制に基づく通貨制度を確立したという背景があります。
帝政ローマ時代の暴君で有名なネロは、紀元64年から68年にかけてドムス・アウレアという黄金宮殿を建造しました。
金はラテン語でaurumと呼ばれますが、これは現代でも使われている元素記号Auの略語でした。
ゴールドの元素記号の言葉は共和制ローマ時代まで遡ることができる、二千数百年もの歴史がある言葉だったのです。